「勇者のくせになまいきだ。」の音楽ができるまで。(番外編)

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物事は複数の側面から見て判断することによって、その真意や精度が高まるものである。

どうやら、弊社いとうけいすけから見たこの度のレコーディングは、
坂本から見たそれとは異なっていたようである。
下記は、レコーディングの直後に、いとうから寄せられた「レコーディング感想報告書」である。

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◆いとうけいすけのマレット 逆風の太刀(リハーサル当日の日記)

一言に「鉄琴」と言ってもその種類は実に様々で、それでも「鉄琴を弾け」と言われれば
誰もがあの、小学校で触ったことのある鉄琴〜グロッケン〜を思い浮かべると思う。

このいとうけいすけもそうだった。

そしてこのいとうけいすけが演奏する楽器が、鉄琴は鉄琴でも実はグロッケンではないという
悲しい事実をリハーサル前日に知ったのだった。

リハーサル当日、仕事の都合で昼過ぎに合流予定のこのいとうけいすけ
渦巻く暗雲を散らすようにヨーグルトをかき混ぜ、よし、と気合いを入れて家を出た。

すでにスタジオには一流ミュージシャン(うちのスタッフ)達が揃っており
コンサートでも開くのか?というぐらいの通し演奏をしていた。
申し訳なさそうに鉄琴〜ヴィブラフォン〜の前に立つこのいとうけいすけだが
本来の立ち位置とは反対側に立ってしまい失笑を買う。

ここで改めて実際の演奏パートを楽譜でチェックすると、あるわあるわ、4和音の塊がこれでもかと。

ついにこのいとうけいすけ、クロスグリップに手を染める。
マレット(ばち)を片手で2本、合計4本を同時に操って4声の多重演奏をする技術だ。

……………。

…これは当然出来る筈もなく、困り果てたこのいとうけいすけ
楽譜を放棄して主旋律をユニゾンでなぞり始めた。
なあに、和声を壊さなければよいのだ。

時折ミスした時はグロッケン奏者をきつく睨んだ。
何事も堂々としていればバレないものだ。

そのうちグロッケン奏者から強く睨み返されたので、
このいとうけいすけ、萎縮してピアニッシモな演奏を心掛ける。

やがて休憩となり、凄腕パーカッショニスト(うちのスタッフ)の方が
このいとうけいすけの傍らに立ち監視態勢に入った。
お前は休まずに練習を続けろという意味合いだろう。

自覚もあるので練習を続けていると
「打点が甘い」
「粒が揃ってない」
「向いてない」
「帰るべき」
凄まじい檄が飛ぶ。

練習が再開、休憩時間にある程度の暗譜を済ませたので今度の稽古には本格的に参加を始める。

クロスグリップ…やらないと楽譜通りの演奏が出来ない。
しかし片手で2本のマレットを操る高等技術にわかに体得出来るものではなかった。

しかたなくこのいとうけいすけ、箸を持つ要領でクロスグリップを攻略。
右手で一対の箸、左手でも一対の箸を持って両手で御飯を頂く絵を想像して頂ければ良い。

その時このいとうけいすけには確実にゲイリー・バートンが憑依していたのだが
トラディショナルな教育を受けた方々にとっては
この奏法はとても奇抜に映るらしく、ここにきて全員から蔑視を浴びる。

演奏がストップされ、作曲者の方(はまくん)がこのいとうけいすけに言った。

「あなたは個人練習していて下さい」

すごすごとスタジオを後にして控え室に籠もり涙を堪えながらマレットで膝を打つ。

そして夕刻、ミュージシャンの方達が帰路に付く中、
このいとうけいすけには驚異の居残り練習が命じられた。

まるで部活だ。

さっきこのいとうけいすけがイヤらしい自己保身に走って睨み付けてしまった
グロッケン奏者の方が一緒に残ってくれた。
ProToolsのセッションファイルを操作して練習を補佐してくれたのだ。なんていい人なんだ…。

しかし仕込んだセッションファイルがこんな事に使われるとは、なんて可哀想なProTools…。

そして、演奏畑の人達に混じってポチポチと鍵盤を叩くこのいとうけいすけ。
何を…何をやっているんだ…このいとうけいすけ…。

深夜に帰宅し、2時間ねむった……。

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◆いとうけいすけのマレット 秘踏みの太刀(収録本番当日の日記)

ついに迎えてしまった収録当日。
ヴィブラフォン歴二日でレコーディング。
勿論遊びじゃない。

しかしこの晴れがましいまでの落ち着きはなんだろう。
信じられない程にリラックスしきっているのである。

なぜなら、譜割りのミスなど後でクオンタイズすればいいし
音程のミスなら後でピッチシフトすればいいし
音抜けのミスなら後でそこだけオーバーダビングすればいいし
音量の凸凹なら後でボリュームカーブを書き加えればいいし
音色がバラつくなら後でEQ処理すればいいじゃない。

データ持ち帰って加工すればいいじゃない!
誰がやるって…それは作曲者の方、もしくはエンジニアの方が…へへ、よろしくお願いしまぁす!!!

音楽プロデューサー(坂本)
「今回デジタル加工一切無しで生のヒューマニズム完全重視の方向で」

!?

エンジニア(河野氏)
「じゃあ早速M-1から録っていきましょう」

作曲家 (はま)
「ヴィブラフォンいとうさん、準備はいいですか」

いとう
「よくないです」

音楽プロデューサー (坂本)
「それでは始めましょう」

………。

今回、コントロールブースとの間にガラス張りの窓が無い。
このいとうが閉じ込められたレコーディングブースは言わば檻で
部屋の隅には監視カメラが設置してあり、大勢の関係者がそれを離れの部屋で見ている。

演奏歴たった二日のこのいとうが、まさかのバートングリップを駆使して驚異のマレット4本持ち。
今、ヴィブラフォンを叩き始める───!

エンジニア(河野氏)
「もう少し音量頂けますか?そんなに萎縮しなくても良いです」

ポローン…ポローン…

作曲家 (はま)
「4小節目アタマ、突っ込んだのでもう一度」

ポローン… ポロローン…

音楽プロデューサー (坂本)
「ぎゃっはっは」 ← ヘッドフォンから微かに聞こえてくる笑い声

弾かせてよ…鍵盤で弾かせてよ…。
サンプラーで…昨今の良質なサンプルで弾かせてよ…。
MIDI編集させてよ…。

エンジニア(河野氏)
「ペダルノイズ拾っちゃうのでもう少し丁寧にお願いします」

作曲家(はま)
「音濁るのでペダリングは正確にお願いします」

音楽プロデューサー(坂本)
「ぎゃっはっは」

ソフトサンプラー使わせてよ…。
ロンドンオーケストラの素材も良いし…
QLSOのヴァイブも良いですよお…。

作曲家(はま)
「練習しますか?」

エンジニア(河野氏)
「繰り返しで出しますのでそれで良テイク使いましょうか」

音楽プロデューサー(坂本)
「ぎゃっはっは」

止められた空調…凄い熱気だ…。
ヴィブラフォンに汗がこぼれ落ちる…。
それを必死に拭き取る…。
汗を吸ったマレットが重い…。

逃げたい…今すぐここから逃げ出してしまいたい…。
叩けるワケない…。
膝から崩れ落ちてしまいそうだ…。

エンジニア(河野氏)
「音量ばらばらなので」

作曲家(はま)
「リズムばらばらなので」

音楽プロデューサー(坂本)
「ぎゃっはっは」

サンプラー…サンプラーさえ使えれば…。
ヒューマニズムなんて…すぐにでも…エディットで…。
くっ…音が濁る…汚れる…暴れる…。

目も霞んできた…。
無理だ…無理だよ…。
所詮このいとうけいすけには無理だったんだ…。

…悔しい…。

???『 …… って …… 』

ああ…何か聞こえる…。
誰かが何か言ってるぞ…。

でももう…限界なんだ…。
耳も…遠くなってきたよ…。

???『 …頑張って… 』

…言葉が頭の中に直接…?
だ、誰だ…?誰が話しかけているんだ…?

AKAI S900 「…頑張って…」
AKAI CD3000「…頑張って…」
AKAI Z8  「…頑張って…」

!?

往年のアカイサンプラー…!?
まさか…君達なのか…!?
助けて…このいとうけいすけを助けてよ…!

Ensoniq Mirage 「楽器を奏でるのは骨が折れるだろう?」
Ensoniq EPS  「俺達の有難味が少しは分かったかい?」
Ensoniq ASR10 「音楽の本来ってこういうものだろう?」

エ、エンソニックー…!
君たちの言うとおりだよ…!

CASIO FZ-1 「昔から皆、楽器の修練には命をかけてきたんだ」

カシオ……!
そ、そうだよ…ボロボロになったバイエル、ツェルニー、ソナチネ…
ピアノを学ぶのにも随分と時間がかかったよ…。それはこれからも…。
そしてヴィブラフォンも…。

KORG DSM-1   「演奏する歓び、忘れてしまったの?」
KORG ELECTRIBE 「初めて楽器に触れた時の、あの感動を思い出すんだ」

コルグ…!
高校時代、必死にお金を貯めてコルグのシンセサイザーを買ったよ…。
思い出のファーストシンセ、買ったときは凄く嬉しかった…。
今は実家で埃を被っているよ…。今度また使ってあげよう…。

ROLAND S760  「音ってのは所詮空気の振動に過ぎない…だが」
ROLAND SP-404 「空気を伝って人の心を震わせるのが音楽ってもんだ」
ROLAND VP9000 「お前が自ら発振しないと、誰も共振してはくれないぜ」

ローランドォー!!
…音楽を奏でる心…ああ、そうか…。
思い出せそうだ…思い出せそうだよ…。
何かが…再び宿ってきた…!

YAMAHA TX16W 「一瞬たりとも気を緩めてはなりません」
YAMAHA A5000 「音楽は時間の芸術なのですから」
YAMAHA SU200 「感じるのです。音の流れを体で感じるのです」

…ヤマハ…!
ヤマハの格調高い気品の押し売りが鼻持ちならなかったけど…
それはヤマハならではの音楽に対する誇りだったんだね…。
今、心で理解したよ…!

Giga Sampler
「いい時代になったもんだよなあ。あの楽団の音が手軽に君の物、か。
  だけどなあ、お前は何かにつけてはすぐ安直に俺達を頼る。
  俺達は決して生楽器の代用品じゃない、立派な楽器なんだ。
  一人前になりたければこの窮地、独りで乗り切ってみせろ」

KONTAKT
「楽器もまた人間と思え。慎重に気をやって大事に扱うことだ。
  思うように音が出ないのはお前が傲慢だからだ。
  支配しようとするな。関係は常に対等だ。
  相手を理解しようという姿勢を示せ」

HALion
「楽器の声に耳を傾けて…。
  こう鳴りたい、こう響きたいと楽器の叫び声が聞こえてくるでしょう?
  そうしたら迷わずに打って…!迷うのが一番禁物。
  迷いは音色を曇らせてしまう…。
  大丈夫、心を込めて打てば楽器はそれに応えてくれるよ。だから…」

E-MU Emulator 「自分を解き放て!」

Fairlight CMI 「自分を解き放て!」

Synclavier  「自分を解き放て!」

!!!????

ギガサンプラー…コンタクト…ハリオン…!
イミュレーター!フェアライトも!
シンクラビアまで…!!

みんな…。
…ありがとう!
分かった気がする…音楽って何か…分かった気がする…!

ようし…。
頼むよ…ヴィブラフォン…!
ヴィブラートスイッチ・オン!

フィーーー……ン…(ヴィブラフォンの羽が回り出す)

ヴ ィ ブ ラ フ ォ ン

   発   進   !

ズゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ

このいとうけいすけ、もう迷わない!
楽器からも逃げない!
明日から本気出す!

いっけぇぇぇぇぇーーーーー!!!!!!!

エンジニア(河野氏)
「何ぃ!?振り下ろしたマレットの軌跡に…虹が出るだと…!?」

作曲家(はま)
「馬鹿な…音符が…踊ってる!?」

待機中ミュージシャン(うちのスタッフたち)
「これは夢か幻か…?どんどん演奏力が上がっていきやがる…!!」

アシスタント
「ピークメーターで計測不能!さらに上昇している模様…!」

ボン!

エンジニア(河野氏)
「コンプだ…!コンプを挟めぇーっ…!」

作曲家(はま)
「ミキサーが壊れやがった…」

エンジニア(河野氏)
「被弾状況知らせ!2mix送り止めろぉー!!」

アシスタント
「駄目です!素晴らしい音楽止まりません!!」

音楽プロデューサー(坂本)
「ぎゃっはっは」

…そうか…そう言えばそうだった…。
こんなに楽しい…楽しい音楽…こんなにも身近な所に…。
ああ…こういうことか…。楽しいなあ…。
もっと…もっとこの楽しい時間を…。

アシスタント
「ツイーター破損!ウーファー裂傷!メインモニター停止!」

エンジニア(河野氏)
「ローカット!ハイカット!ゲイン下げぇー!」

アシスタント
「パワーアンプ動きません!…ああっ!メインシステムが…!?」

エンジニア(河野氏)
「暴走!?」

待機中ミュージシャン(うちのスタッフたち)
「凄ぇ…フェーダーの動きが速すぎて見えねぇ…」
「一体何が起こっていやがるんだ…」
「くっ…素敵な音楽が鳴りやまねぇ…!」

アシスタント
「α波確認!…まさか…“ 1/fゆらぎ ”…!?」

エンジニア(河野氏)
「これほどまでか…!」

美しい…このヴィブラフォン…本当に美しく響く…。
こんなにもお前は…力を秘めて…。
待っていてくれたんだね…このいとうけいすけを…!
二人が溶け合ってるって…感じるよ…!もっと…!もっとだよな…!

エンジニア(河野氏)
「本艦はこれより特攻をかける。皆は今すぐ船を降りろ」

待機中ミュージシャン
「艦長!?」

アシスタント
「自分も残ります。艦長」

エンジニア(河野氏)
「お前…」

作曲家(はま)
「俺も残ろう。俺の曲だからな」

エンジニア(河野氏)
「作曲家…」

待機中ミュージシャン(うちのスタッフたち)
「俺達も残るぜ!艦長!」

音楽プロデューサー(坂本)
「ぎゃっはっは」

エンジニア(河野氏)
「皆…よーし!総員、持ち場に付け!最後の見せ場だ!」

アシスタント
「艦長だけにいい格好はさせませんよ!」

作曲家(はま)
「最後まで付き合うぜ」

待機中ミュージシャン(うちのスタッフたち)
「死なば諸共だな!音楽が相手なら本望ってもんだ!」

エンジニア(河野氏)
「俺は…良い仲間を持った…いざ!!」

アシスタント
「マスターフェーダーMAX!!!」

作曲家(はま)
「128分音符トゥッティ!!!」

待機中ミュージシャン(うちのスタッフたち)
「フォルティッシッシッシモ!!!」

音楽プロデューサー(坂本)
「予算を湯水のように!!!」

全員
「うおおおおおおおおおーーーーーー!!!!!!!!!!!!」

こうして戦いは終わった。
後には焼け爛れた大地だけが残った。
近くに水辺でもあるのだろうか
荒廃した大地の片隅で一本のアシ(葦)が風に揺れている。
アシが風を鳴らしているのか、風がアシを鳴らしているのか。
今にも掻き消されそうな音が澱みきった空を泳いでいる。
どこまで届くのだろう?
いつまで鳴り続けるのだろう?
重く湿った空を懸命に震わせながら
この脆弱な振動が胎動となる時は来るのか。
来るー! きっと来るー!

このいとうけいすけが関係者各位にご迷惑をお掛けしまくった希代の名作!絶賛発売中!
みんな買ってね!

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坂本です。
80%フィクションです。

(「勇者のくせになまいきだ。」の音楽ができるまで。 - 完 -)

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